積善の家には余慶あり

積善の家には余慶あり

四書五経のひとつ、「易経」にある有名な言葉、「積善の家には余慶あり」の意味

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神だのみの極意

易経にある「積善の家には余慶あり」という言葉は日本においてはよく知られています。積善の効能について説いているもので、その家の家運隆昌の鍵は、いかに積善の行為を家人が行うかにかかっているとされています。積善とは、善なる行いを積み重ねることであり、しばしば「一日一善」などの標語もみかけます。神棚のお祀りは、日々の平穏無事を感謝する場であると同時に、積善の立志をして、その実行を心がける場でもあるのです。いくら神道を学んで神棚を祭って、神を信仰していたとしても、日々の日常の中で、積善を心がけることもなく、自己中心な生き方をしていたのでは、天佑神助も授かりません。そして神棚のお祀りとは、神様を祀り、己の積善の立志を祈ると同時に、自分の進むべき道を指し示して導いて頂くための場でもあるのです。もし、自分の人生の進路に迷うことがあるならば、その胸のうちを神に祈るとよいでしょう。悩みには病気平癒や健康に始まり、人間関係や仕事や学業や受験、恋愛や結婚や子宝、収入や財政や資金繰りなどさまざまあるかと思います。神棚のお祀りでは、心を素直にしてこれらの問題解決について天佑神助をこいねがうとよいのです。しかしながら、神を祀り、祈りを捧げたら、必ず具体的な努力の実行が必要です。

現実的な努力の実行なくして天佑神助は授かりません

。 箴言にも「天はみずから助けるものを助く」という言葉があります。神棚をお祀りするときには、昔からいわれている顕幽一致の言葉のとおり、顕祭つまり、形にあらわすお祀りと、幽祭つまり、心のうちで至誠をきわめて祈る気持ちの両方を一致させる心構えが大切です。これが神棚をお祀りする場合にもっとも重要なことです。それがなければ、いくら神様をお祀りしてもそこに真心がこもらないので、開運効果が出てきません。神をお祀りするとは、人間としての至誠を天に捧げる気持ちで、祈り向かうということでもあります。神棚のお祀りという形だけに気持ちがいかないようにたえず自戒が必要です。鎌倉時代の御成敗式目にある「神は人の敬によりてその威を増し、人は神の加護によりて運を添う」という言葉は、神棚のお祀りを行うときの心構えを教えてくれています。つまり、「敬」の心がなければ、正しい神の祀りとはならないということです。この教材で神だのみの極意を完全に会得できます。



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