自分の家庭環境や自分の体質や性格、そして脳の構造に至るまで、前世で積み重ねたものの結果が今の自分に授かっています。遺伝情報も素因もすべて前世の結果です。今、足りないということは、前世でそこの部分を磨き足りなかったというだけなのです。そして、今生では、できないなりにも磨いていくことで、その方向性に自己練磨の徳が積まれます。立志発願をして、精進努力の生き方に立脚すれば、今生でも能力がわずかずつでも伸びるし、来世の自分には良き素因、才能を与えることにもなります。ですから、できないことをあきらめるのではなく、できないなりにでも少しずつ、わずかずつでもゆっくり伸ばすつもりでいて良いのです。また、そのためにはまずは長所や好きな事に目を向けていく方が良いです。なぜならば、長所を伸ばすと、その過程で、短所もわずかずつ改められていくのです。そして、足りなかった部分の能力も少しずつでも伸びるのです。
もし、短所の矯正にばかり集中すると、その状況は誰にとっても苦しいばかりなので、短所もなかなか矯正できないし、結果的に長所も伸びず、どちらもうまくいきません。たとえば、発達障害に生まれてくる人でも、パーソナリティ障害の傾向がある人でも、あるいは、単に性格の歪みとされるレベルであったとしても、自分の「できない部分」は前世の結果であることを理解したうえで、「できる部分」を伸ばしていくことが最善の道だということです。これを心がけていると、時間の差はあっても、誰であろうと、結果的に、「できない部分」も少しずつできるようになっていくのです。
脳の問題や性格、心の問題だけではありません。体の問題も同じです。腕がない人は、多くは前世で人の腕を切り落としています。目が見えなくなる人は戦争などで人の目を傷つけています。そのような因果応報は他者への行為のブーメランです。脳や人格や能力や性格の部分というのは、これまでの複数の前世で自分が自分に対してしたことの結果なのです。そして、努力しなかったことの結果でもあります。これまでの前世で努力しなかった部分は、今生の自分には備わっていないというだけのことです。それがわかったら、少しずつでも自分を向上させようと立志発願して、歩き出せば、それこそが、天地神明の道に合致した正しい生き方です。「できない自分」を責めるのではなく、それでも前向きに進む自分を勇気づけて励まし、生まれてきた人生の本義を果たしましょう。
厳しく責めてくるような相手を見るときに、「劣等感」に着目すると、意識の壁が越えられます。人を責めたり、こうしろ、ああしろという人、会社の上司、先輩、親などの行動の背後には「劣等感」があることが多いです。そのような人は自分自身の劣等感に突き動かされているのです。劣等感があると、その劣等感を埋めるために自分の代わりになる人を見つけて、その欠点や落ち度を注意したり、指摘したりします。すると、相手が萎縮したり、困ったり、恐れ入ったりしますので、自分の劣等感が一瞬なくなったように錯覚するのです。このような人は、劣等感を強く持っているからこそ、人の欠点や落ち度を必死で攻め立てて、自分を救ったり、守ったりしているのです。このような親、このような上司、先輩はどのコミュニティでもいます。このような人とかかわるとき、相手の「劣等感」を見破ることが大切です。
そして、相手の攻め立てる言葉を真に受けないことです。言葉が頭を下げている自分の頭上を飛び越えてむこうにいってしまうような気持ちで対応することです。「ありがとうございました」と何をいわれても、感謝の言葉で締めくくることが大切です。感謝されると、劣等感の持ち主たちは窮します。彼らは感謝されると困るのです。自分の言葉で追い込まれ、困り、狼狽し、うろたえる姿をみることで、彼らの劣等感が癒されると思い込んでいるからです。ですから感謝されると一番困るのです。何をいわれても「ありがとうございました」と愛をこめて言っていると、相手の行動様式を少しずつ変容させることができます。そのためには、相手の言葉を真に受けないことです。自分の仕事や活動をほんとうの意味で評価し、理解してくれるのは神仏しかいません。
守護霊様に恥じない努力ができれば十分です。それさえ見失わなければ、やがて相手のほうが折れてしまうのです。必ずしも相手のほうが優れているわけではありません。今生ではたまたまそのポジションにいるに過ぎません。ですから、相手の劣等感につきあう必要はありません。このような意識で完全に乗り越えれば、相手の言葉を聞き捨てることができるようになります。そして「ありがとうございました」と愛をこめて対応するようにしていると、相手は、「こいつは何をいわれても不死鳥のごとくよみがえってくるおそろしい奴だ」と思うようになり、位負けしてきます。すると、相手の精神的な位は自分よりも下になりますので、やがて何も言ってこなくなり、位勝ちできます。こうすれば、他人の劣等感ゲームの相手をすることから自由になれます。
人生を自由に生きることは、相手を無視することではないのです。何をいわれても「ありがとうございました」と平然と言えるようになるということです。相手との間に境界線をひいておき、その境界線よりもむこう側のことは、神様にお任せしてしまうということです。こうしていると、むしろ相手はこちらを信頼するようになり、かえって和解できたり、距離が近くなったりもするのです。相手の背後にある劣等感が見破れたら、言葉を真に受けることはなくなります。何をいわれても平然と「ありがとうございました」と愛をこめて感謝できる人になるのです。そうなるといつでも冷静でいられますし、心も穏やかでいられます。相手のほうがむしろ、気を使うように逆転してきます。